現実化される自分の思考をコントロールする能力
子どものころ、とても想像力が豊かでした。
子どもなので、そんな自覚もまだはっきりとは
ないのですが、ある日、自分が考えていたことが
現実に起こっている、ということに気が付きます。
あれ?
最初はよくわからない訳です。
何で考えていたことが現実になるのか?
それが毎日のように続き
訳がわからず、怖くなりました。
良いことが現実化すればよいのですが
悪いことを考えてしまった時
本当にこわくなりました。
すぐに怖い映像や考えをかき消し
よい映像や考えに修正、上書きするのですが
怖い、ネガティブに引っ張られることもありました。
私の頭の中は、いつも連想ゲームのように
高速回転するモーターのように
グルグル動いていて、色んなことを常に
考え続けていました。
それを自分で止めることが本当に難しかったです。
未成年の頃はほぼ無理でしたし、社会人になって
からも難しかったです。
今はコントロールできるようになりましたが
そのコツはあきらめかもしれません笑
思考が止まらなくて
何が一番困るか。
夜眠れません。
寝ようとすると、邪魔するものがないので
より集中して考えることができるわけです。
その日の出来事、自分が気になっていることが
頭に浮かび、自分なりにまた整理していくのです。
あんなことがあった、こんなことがあった。
ああした、こうした。
ああ言った、こう言った。
ああ言わなければよかった。
こう言えばよかった。
ああすればよかった。
こうすればもっとよかったのに。
など。
一人懺悔、一人反省会の世界です。
その思考の整理整頓、お片付け、お掃除が
終わると自然と眠れるのですが
日常生活の中で何かしらの問題や障害があって
すぐには解決しないことや、自分一人だけの
問題ではない場合は、答えはでませんし
答えがないものもありますので、延々考えることが
続きます。
考えることを止めよう という考えから
どうやって、何で、とかまたそこから
思考が始まるからです。
常に自問自答しているようなそんな時もありました。
自分の頭の中で考えることをコントロールする
力を養うのには、時間というより経験が
必要でした。
その経験というのは瞑想のように頭の中を
無にするというのとは異なり
自分が人生経験を積み重ねることで
培われた価値観や考え方のようなものだと
今は思っています。
瞑想時の無になる状態は、術、技のようなもので
訓練すればできるのだと思いますが
私の思考を止めるというのは、そういう
繰り返しや訓練でどうにかなるものではありませんでした。
だって毎日、毎晩、毎回、止めたい時は
無数にあり、努力しましたができなかったからです。
今思えば、それが必要なこと、経験、訓練
だったのだと、今振り返るからこそ
言えることだと思います。
わからないことをわからないけれど
わからないなりに試行錯誤して
努力し続けることがいつか経験、実績となり
後で振り返ればそうだったのかと
一つの答えを導き出せるのかもしれません。
自分が人生経験を積み重ねることで
培われた価値観や考え方がよりよく
なることで、無意識に考えることすら
ポジティブでよい考え方に変わります。
私の現実化される自分の思考をコントロール
する能力の養い方は、そもそも自分の思考を
変えることでした。
現実化してほしくないことを考えない
自分を作ること。
ポジティブ、愛と平和、幸せな思考に
常にあれるように自分をメンテナンスし
コントロールすることです。
そして考え続けなくてもよい
シンプルな発想や思考だったり
意識的に違うことを思考させたり
色んな術もありますが、根本的には
自分の思考の土台をよりよいものに
することでした。
それでも人間なのでその時の感情もあり
ネガティブになることもありますが
そういうぶれ、反動、ふり幅、ブレーキの
遊びのような、比較対象のような
そういう部分も必要だとありのまま
受け入れていますが、深追いはしません。
闇を知るから光を知る。
あぁこれが闇で、これが光ね。くらいで
どうせ考えるなら光をより輝かせる
方法を考えています。
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