空腹を満たすための食事
私はとにかく好き嫌いが激しい子どもでした。
好き嫌いというより、食べられるものの方が
少なかった。
今から考えると一体何を食べていたの
だろうか、と思うくらい極端に食べなかった。
食べなくても生きていけていた。
給食が無ければ、1日、2日平気で食事を
抜いていたし、食べることは私の日常生活の
一つではなかった。
食べることへの執着、関心もなく
食べないこと=全てを拒絶
自分の中に何も入れたくない
受け入れられない時期があった。
五感が敏感なので、三次元的にも
聴覚、嗅覚、味覚がずば抜けている。
子どもの頃はもっと敏感だった。
例えばまな板で食材を切ってその後
まな板や包丁を洗い、他の食材を切った際
後から切った食材を食べた時に
その前に何を切ったかわかる程だった。
それに付け加えて、作った人の感情や思考も
伝わってくるので、怒りながら作った料理
悲しみの中で作った料理は胸が潰されそうな
息が詰まって食べられない。
魚や肉はくさすぎて食べられなかった。
特に魚。
新鮮な魚介類、魚が美味しくて有名な土地で
育ったが、くさくて食べられなかった。
海か山か、どちらかというと山側で育ったので
磯の香りにも不慣れだったのかもしれない。
臭いになるか匂いになるか、慣れの力は大きい。
祖父や父は田んぼでお米、畑で野菜や果物を
作ってくれていた。
どれも本当に美味しくておいしくて。
食べると幸せだった。
母は料理上手で、母の料理が世界一、大好きだった。
これは本当にありがいことで大人になってから
何度もありがたみを感じた。
本当のお米の味、野菜や果物の味が
どんなものか、どんな味は安心して食べられるか
自分の判断基準となった。
今でも素材のおいしさをそのまま生かした
料理が好きで、味付けしなくても食べられる。
野菜は味付けしなくても美味しいし
お米は噛めば噛むほど、甘くておいしい。
子どもの頃は家にまだ井戸があった。
井戸の水をろ過して使っていた。
水の味もわかるようになった。
環境の良い土地で育てたことはご先祖様の
おかげです。
時々スーパーで買った野菜が薬くさいことがある。
あまりに強烈過ぎて、スーパーに確認して
いただいたことがある程だった。
担当者の方にその野菜を試食していただいたが
全くわかってもらえなかった。
わからない人にはわからない。
納得だった。
葉物野菜を生で食べれば、水道水や薬のにおいがする。
そのにおいのきつさはその土地によって異なる。
生産地を見ては、ここの水はおいしくないんだな、と
記憶する。
例えその葉物野菜を煮たり焼いても、上がってくる
湯気の中に水道水や薬くささがある。
食材のそれを知るために味付けは仕上げの時に
することが多い。
それくらい嗅覚が優れているので、料理をしていても
味見することはない。
味見するという行動は料理の工程には含まれておらず
意識すらしていない。
料理の匂いで味がわかる。味の濃さを知るのは
簡単なこと。
全て無意識に普通にしていたので
今書き出すまで忘れていた。
最近また食べるものに敏感になってきた。
身体によいものを食べると、体に染み渡る
細胞が喜ぶような感覚がある。
身体が温まり、エネルギー、パワーが
補給されたような感覚がある。
ついつい安いものを買ってしまうことがあるが
食べて後悔する。
ひどいものはのみ込めない。
噛んでいても気持ち悪くなるし
飲み込んでもお腹が痛くなる。
結局、上か下から排出される。
魚や肉は簡単にわかる。
パックから出してすぐわかる。
食べてよいレベルか、
食べてもよいが、くさいみが
残りそうなものは臭みけしの
味付けをする。
臭みは人間の身体の防御反応と
関係していると思う。
体が受け付けない。
安い食材、安い食事
驚かされる。
しかし店頭に並ぶまでのコストを考えたら
その金額はおかしい。
そういうものばかり食べると
身体は病んでしまう。
味をごまかすため
見た目をごまかすため
色んなものが使われている。
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